アーカイブの考察

 

城の復元に役立つ江戸幕府のアーカイブ

全国各地で、一人でも多くのお客さんに来てもらおうと、観光資源の開発が日夜すすめられています。
平成期に入って、近世の城跡の整備、復元が各地で行われるようになりました。
城跡は多くの場合、明治初期にほとんどの建物が破却され、軍用地や官公庁用地に転用されています。
世界遺産になっている姫路城のように、往時の姿のままで残ったものはごくわずかです。

高度経済成長期を中心に「観光城」などとよばれる鉄筋コンクリート構造のお城(模擬天守)が各地でつくられましたが、平成期に入ると、往時の姿を正確にトレースした、学術的調査に基づく「復元」が試みられるようになりました。
平成6年に再建された掛川城は、その嚆矢といえるもので、往時の姿をよみがえらせた日本初の木造復元天守です。
また平成13年の金沢城、菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋の復元には、建造当時の伝統的な工法、技術をも復元して、石川県の大工さんたちに継承されました。
関東周辺だけでも、宇都宮城、小田原城、駿府城(静岡市)などで門や櫓などの復元を実施しています。

復元にあたっては、現地の発掘調査と並行して文献資料の調査が行われますが、当時の人々が残した絵図などが、たいへん役に立っています。
徳川幕府は、大名統制の一環として、城の拡張や改造を容易に認めませんでした。
正保元年(1644年)には、諸藩に命じて城と城下町の絵図を提出させています(『正保城絵図』)。
落雷や地震により、たびたび修理が必要になりますが、そのたびに図面を提出させて、どさくさ紛れに城を拡張したり、華美にしたり、兵装を強化したりすることを取り締まりました。
日本中の城郭の図面が幕府に送られてきたため、江戸城には大量の正確な図面が蓄積されることになりました。
これらは、明治新政府の内閣文庫を経て、現在は国立公文書館に保管されています。

江戸期の人々が残してくれたアーカイブが、今の私たちの暮らしに、おそらく彼らが考えもしなかった理由で役に立っているのです。
いま、私たちの周りにある文書類も、将来思わぬことで「宝物」となる可能性がある、といえるのではないでしょうか。

 
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